2016年3月7日月曜日

気配

いしいしんじさんの「よはひ」という本を読んでます。あと六分の一くらいで読み終えるところ。考えてみると、いしいさんの小説を読むのは随分と久しぶりでした。自分にとって、内容とその時の気分とが合わないと読み進められないこともある作家さんですが、今回はちょうど良い具合に楽しく読めてます。


職場でたまに、ひどく落書きされている本が見つかると、カウンターに立ちながら暇な時間ひたすら消しゴムで消す作業をすることがあります。自分の本でもないのにこんないっぱい書き込みする人がいるだなんてとても信じ難い、ということがあるんです、本当に。先週はそれが中学生の数学を易しい言葉で説いた本で、丁寧に消していると読もうとしてなくても断片的に内容が頭に入ってくるのですが、そのとき、十代の自分は数学的な世界観に洗脳されてたんだなという気がひしひしとしました。机上の理論がわりとすんなり理解できて正解を出せる分だけ、想像力を欠いていたというか。現実には、単純な理屈では片づけらないことばかりなのにね。

同じ職場で十年以上働いてると、なんとなくだけど憶えて認識している利用者の方はそれなりにいっぱいいます。返却された本を書架に戻す作業をしているとき、作業に没頭していて周りの人をよく見てなくても、最近たまに、あっ今横にいる人はあの人だ、って雰囲気とか気配から感じることがあって、後からそれとなく見て確認すると大体当たってます。どうしてわかるのか自分でも不思議です。過去に、貸出カウンターで本を借りていくときセクハラめいたこと言ってきたおやじなんかは、口に出す前から「こんなこと言っちゃうぞ~イヒヒ」的なおかしな気配をたしかに発してました。ほんの一時カウンターで顔を合わせてるだけで、何故だか話の通じそうな人、気の合いそうな人っているし。あとは、手にした本を書棚にいざしまおうとすると、意識してなくても複本だったり巻数表示されてるシリーズの本のところに手が勝手に伸びることも案外あります。同僚の方で、配架中に利用者の方にやたらと質問したり声をかけられる人もいて。人って、簡単に説明できない、いろんなことを感知しているもんだな~と実感します。

人間や、家族、音楽、言葉、生命、そういったいろいろが、単純に目に映るようではなくて、輪郭があいまいでぼわぼわとした得体のしれないものでもあることを、理屈や時間の枠を飛び越えて感じさせてくれるおはなしがいくつも入ってて、うそばなしのフィルターを通した「ほんとう」にはきりも正解もない、そんな不思議で自由な物語の織りなす空間にしばしたゆたっていたいです。よはひ。
  


この物語も楽し。 
  

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