2012年10月12日金曜日

書き忘れた















三日続けて遅番で、三日続けて朝にブログの文章を書いてて、今朝ようやくアップデートしてから出かけたのですが、やっぱり書き残したことがあったのに仕事中気がつきました。

恩師という言葉から真っ先に思い浮かぶのは、子供の頃に通っていた絵画教室の先生です。年子の弟が絵が得意だったので、弟のついでというか付き添いを兼ねて、小学三年生のときから約二年間、週一で通ってました。隣町の団地の四階にご夫婦でお住まいで、自宅で教室を開いていて、旦那さんは学校の先生、子供がいないけど子供好きな先生は油絵を描く人でした。それまでは、学校の授業で絵を描くときは時間内に終わらせて提出しなければならないというのがどうにも苦痛で、全く楽しいと思えなかったのですが、絵の教室では一人一人に先生がきちんと向き合ってくれて、上手下手だけではなく、人より時間がかかっても自分の好きな感じで描きたいという面を評価してくれたので、次第にのびのびと描くことができるようになりました。今でもはっきり記憶に残っているのが、雪の日の風景画を描いたとき(わたしは昔から雪が好き)、これはいい絵になりそうだからと先生が言ってくれて、教室の時間外にも先生のうちに一人だけお邪魔して描かせてもらったりしました。冷凍していた手作りの草餅を焙って食べさせてくれたことを憶えています。引っ越しと同時に教室は止めざるをえなかったのですが、その後もずいぶん長いこと先生の個展があるたびに顔を出していました。油絵具の匂いをかぐと先生のうちを思い出して懐しくなります。今でも旅先でふらっと美術館に行ったりするのが好きなのは先生のおかげだと思っています。パソコンで文を書くのにもやたらと時間がかかるし、ひきがたりもなかなか上達しないけど、「好きな感じ」を自分のペースでしつこく追い求めるところは子供の頃からそんなに変わってないような気がするし、ひょっとしたらその根底にはあの二年間の記憶の断片が幸福な原体験として残っているのかもしれません。それってある意味、教養に助けられてるってことかもな、って話につなげたかったんですけど。

まあそんな感じで、何事によらず器用ではなく時間がかかるタチで、社会に適応するかしないかのギリギリのラインでぼちぼちやってるので、仕事しつつ音楽やりたい、けど仕事終わったらひとまず一杯やりたいしネット見て楽器の練習して本読んで休みの日は友だちと会ったりもしたい、とか言ってると、いろんなことがうまく回るはずもなく。心身共にしょっちゅう調子崩してるし。この三日間も朝パソコンにぼーっと向かいながら、ていうか掃除がまず先だろう!て自分で突っ込みたくなるような部屋の惨状でした(今も…)。そんなわけで、不義理もいくつも重ねてまして、本当に申し訳なく思ってます。これを読んでもし思い当たる節のある方いらっしゃいましたら、ごめんなさい。

ライブの告知しなきゃなんですけど、日を改めます。飲みながら書きました。おやすみなさい。明日はゼロ番地だ!

0 件のコメント:

コメントを投稿