大晦日の昼下がりです。こんにちは。
かろうじて布団は干しているものの、大掃除に精を出す気にもなれず、ぼやーーっとしています。ちょっと鬱気味。
ここ数年は年末になると地元のツタヤでCDをまとめ借りするのが自分の中での恒例行事となってまして、一昨日は九枚借りてきました。ジェイムスブレイクやデヴィッドボウイ★はさすがのクオリティーに納得するしかないって感じです。聴けてうれしい。
一年ほど前に脳出血で倒れた九州の父が、 十日前にうちの近所の施設にようやく引っ越して来れたのですが、移動の疲れのせいか体調が安定せず施設から入院になったり退院したり、他にも家族の問題が山積みで、心配には事欠かず、も~まいったな~というのが正直なところです。
一昨日ベッドで横になってる父と会話していたら「ブログに書いてもいいよ」などと言い出したので(笑)ちょっと書いてみると、外出できるようになったらあなたと近くのガストに行きたい、と言って涙したり、お母さんが可哀そうだと言って泣かれたり、後遺症のせいなのかとかく涙もろくなってるし、左半身が麻痺している上に発言や思考能力も倒れる前と同じとは言えないような状態で、誰よりも本人が一番しんどかろうと思うので、せめて、生きてて良かったと心から感じられる瞬間が少しでも増えてくれることを願ってます。内向的で偏屈な人だけど九州男児の端くれなので、以前は私が家のお金のこととか心配しても「あんたは心配せんでええ」といつも言ってくれて、そんなはずなかろうよと思いつつも、そう言ってもらえることに安心してどこか甘えていたんだなと、こうなって初めて気づきました。先月、親になった友人達と会ったから余計に、親は初めから親だったわけじゃなくて、成長して親という立場になった個々の人間なんだなと今さら思ったりして。数日前に古希を迎えた父に改めて感謝です。
今年の春から地元のレコ屋兼飲み屋に関わらせてもらうようになって、何かと刺激を受けました。今月はとうとうライブまでやらせてもらって、感無量です。音色は三人ではほとんど動けなかったけど、来年はちょっとずつでも活動を再開できたらなと思ってます。人生いろいろ、困難もあるし、寄り道や回り道ばっかりしてるダメ大人だけど、これからもやっぱり曲作ったり演奏したり続けて行けたらなと。切に。関わった方々、お世話になった皆々様、ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
今年初めて出会った音楽では、GEZANのアルバムがすーごく好きだったので、貼らせてもらおう。 よいお年をお迎え下さい。
2016年12月9日金曜日
近況など
冬になりました。ね。ご無沙汰してます。
先月は、八月以来ちょっと久しぶりにライブで演奏したり、家族のことでバタバタしたり、旅行で遠出したり、していたらあっちゅう間に過ぎて行ったような感じです。
ライブはいつもお世話になっているスタットで、サガイユウヤくんとの二人編成の音色と、ソロひきがたりと、二回やりました。ツイッタでしか告知してなかったけど。久しぶりのライブだったことが逆に良かったような気がしてます。結果として越えられなかった壁を一つ越えられたような。どっちのライブもすーごく楽しかったな。お誘いして下さった方々、ご一緒した皆々様、観に来てくれた友だち、サガイくん、スタット、ありがとうございました。自分にしかできないこと、なんて大それたことは目指してないけど、自分でしかない音を奏でることができるように、ちょっとずつでも詰めて行きたいです。イメージと技術と。家のことが落ち着いたら企画やったりもしたい。来年はもうちょっと音色三人で動けるんじゃないかという見通しもあり。
旅行で島暮らしの友人達に遊んでもらったのは最高に幸せでした。とってもナイスで気の良い人達だから、ということはもちろんあるけど、音楽を軸にして一緒に過ごした何年かに渡ってゆるやかに築いた関係性がベースにあってこその、まるで天からの贈り物みたいな小旅行でした。感謝しかない。
家のことでは摩擦が多くてしんどい日々ですが、もしこの家に育ってなかったら同じ人間であってもこんなふうに音楽やってる今の自分はいないと思うし、そう考えると負の面もやはり必要な要素だったと思おう。やさしくなりたい。吹奏楽やってた頃、もしできることなら音大とか行けたらいいけどそりゃ無理だよなと思うくらいには音楽が好きで、そのときの自分から考えると曲作って演奏したりバンドやったりしてる現状はまるで夢のような話でしかなく。限られた人生、これからも精一杯やれたらいいな。
明日10日土曜日は日々ものすごくお世話になっているレレレノレコードでライブの前座で演奏させてもらうのですが前売りはありがたいことにソールドアウトしているそうです。サガイくんに手伝ってもらって二人で演奏します。がんばるよ。
今後決まっている予定。20日火曜日に武蔵境スタットまんぶさんの年末ライブでソロひきがたります。来月21日土曜日はおんがくのじかんでの鈴木伸明さんの企画に二人音色でお誘い頂きました。ありがとうございます。また改めて告知できればと思います。
久しぶりの真夜中ブログでした。おやすみなさい。
尾道の旨いハンバーガーとファニーなゆもやん
スタットでひきがたるわたくし (かつてミワコちゃんから譲り受けたワンピース着用)
2016年10月28日金曜日
2016年10月12日水曜日
「姉さんと僕」
先月は雨つづきでしたがここへ来てようやく秋晴れが顔を覗かせるようになってきましたね。こんにちは。
最近ずっと本を読めない時期が続いていて、職場で予約していた本も読まずに期限が来ちゃうし、人にお借りした本も読めてないし、友だちの著作にもざっと目を通したきりで、そしてそんなときの常として、どんよりした天気の休日など寝転がってひたすらばななを再読する日々でした。病んでます。
「姉さんと僕」というやや異色の短編があって、ばなな作品に多くない一人称が男性のおはなしで、前から妙に気に入ってたのだけど今やけに胸に沁みました。少し変わった主人公の生い立ちを通じて人は誰もが結局それぞれ他人と簡単には分かち合えない面があることがわかりやすく描かれているからか、あと、わたしの内面のトーンと似通っている気もして。外見や作る音楽はまあまあ女性っぽいけど、中身はこんな感じに近いように自分では思うけど、どうだろう。
ところで、何年か前の秋にアートスクールというバンドのベスト盤をよく聴いていて、そして今もわりとそういうモードで、「姉さんと僕」に出てくるアップルちゃんという女の子の描写が、わたしの中でアートのボーカルの方のイメージにどこか通じるなあとふと思いました。アートスクール、歌詞の言葉の意味とかじゃなくて、もっと深い部分で、何故だかふっと癒される感じがあるのは何でだろう。
最近ずっと本を読めない時期が続いていて、職場で予約していた本も読まずに期限が来ちゃうし、人にお借りした本も読めてないし、友だちの著作にもざっと目を通したきりで、そしてそんなときの常として、どんよりした天気の休日など寝転がってひたすらばななを再読する日々でした。病んでます。
「姉さんと僕」というやや異色の短編があって、ばなな作品に多くない一人称が男性のおはなしで、前から妙に気に入ってたのだけど今やけに胸に沁みました。少し変わった主人公の生い立ちを通じて人は誰もが結局それぞれ他人と簡単には分かち合えない面があることがわかりやすく描かれているからか、あと、わたしの内面のトーンと似通っている気もして。外見や作る音楽はまあまあ女性っぽいけど、中身はこんな感じに近いように自分では思うけど、どうだろう。
ところで、何年か前の秋にアートスクールというバンドのベスト盤をよく聴いていて、そして今もわりとそういうモードで、「姉さんと僕」に出てくるアップルちゃんという女の子の描写が、わたしの中でアートのボーカルの方のイメージにどこか通じるなあとふと思いました。アートスクール、歌詞の言葉の意味とかじゃなくて、もっと深い部分で、何故だかふっと癒される感じがあるのは何でだろう。
2016年9月5日月曜日
帰り道
数日前、早番の帰りに川沿いを散歩しながら帰ったら、西日がそこかしこをうっすら黄金色に染め上げていて、うっとりしました。思い出のいっぱい詰まった、世界で一番好きな、川沿いの道。
だって音楽しかほんとにやりたいことないんだもん、て最近わりとよく言ってたし、実際にそう思ってたんだけど、そう思うより他にやり場のない、見えない重荷を自ら背負って苦しんでたのかもしれない、という気がしてます。音楽は今も昔もずっと変わらず大好きだけれど。それはもう間違いなく。
季節の変わり目の割には心身共に落ち着いてますが、夏の疲れも出る時期だし、ということで、基本的に力を抜いてだらんと過ごしてます。今ここで「何か」をじっくり溜めておいて、次のステップで放出できたら、などとうっすら思う一方で、もはやそんなこと頭で考える必要ないのかも、という気もします。自然体、なんて言葉は好きでもないけど、せせこましい矮小な人間なりに、他の立派な誰かではなく今ここにいるちっぽけな自分として、できること、やりたいことを、無理なくやるにはどうしたらいいか。フラットに向き合う必要がありそう。ここから始まる、ここからしか始められない、次の道をぼんやり模索しているような、いないような、夏の終りです。
だって音楽しかほんとにやりたいことないんだもん、て最近わりとよく言ってたし、実際にそう思ってたんだけど、そう思うより他にやり場のない、見えない重荷を自ら背負って苦しんでたのかもしれない、という気がしてます。音楽は今も昔もずっと変わらず大好きだけれど。それはもう間違いなく。
季節の変わり目の割には心身共に落ち着いてますが、夏の疲れも出る時期だし、ということで、基本的に力を抜いてだらんと過ごしてます。今ここで「何か」をじっくり溜めておいて、次のステップで放出できたら、などとうっすら思う一方で、もはやそんなこと頭で考える必要ないのかも、という気もします。自然体、なんて言葉は好きでもないけど、せせこましい矮小な人間なりに、他の立派な誰かではなく今ここにいるちっぽけな自分として、できること、やりたいことを、無理なくやるにはどうしたらいいか。フラットに向き合う必要がありそう。ここから始まる、ここからしか始められない、次の道をぼんやり模索しているような、いないような、夏の終りです。
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