久しぶりのブログ更新です。前回は2020年の12月で、2021年の年始に一度ブログを更新しようとしてサボテンの写真だけアップした下書き投稿が残されてました。ちょうど一年前に持病が再発して、そりゃもう大変でしたが、今、ベランダからの日差しで足元が温い朝にパソコンを打ちながら、いつかは相殺しないとにっちもさっちも行かなくなってた自分の中のねじれや闇と向き合う必要があったのかな、としずかな心で思います。小さな頃からずっと、自分を心から大事にはできてなくて、不安に怯えて視野がぎゅーっと狭くなって、強欲だったり矛盾してるところには目を向けられずに勝手にそれらしい自分を演じて…。去年の秋、長いこと手をつけずにいたサボテンをやっとの思いで植え替えて、写真だけ比べると植え替え後の方が小さくなったようにも見えるけど、呼吸しやすくなっただろうし、ここから大きくなるかもしれない、お互い焦らずのびのび生きられたらいいね、ともっともらしいことを書いてみたり。
なんでブログを更新しようと思ったかというと、一月末に、コロナ禍でずっと会えてなかった要介護5の父としばらくぶりに顔を合わせたんです。父のいる施設はまだ面会できないのですが、三週間に一度、母が父の通院に付き添って外出させてるので、病院の待合室に思い切って会いに行きました。一時間半くらいは一緒にいたかと思うけど、長い沈黙の合間に搾り出すようにぽつりぽつりと言葉をかけてくれて、「にじいろ…そら…」みたいなことを何度か言われたとき、ああ、私のブログのことか!と気づいて、胸がじんとしました。憶えててくれたこと、伝えようとしてくれたことが、嬉しかったです。
昨夜お風呂の中で読んだばなな本の中の一節、備忘録的に引用↓
パパが離れて行くことをいつだって心配していたから、ぎゅうっとしがみついていたの。怒る以外にいろいろなあらわし方があったことはわかっているのに。いつのまにかこっちの道にきちゃって、こっちの道は、戻れない道だった。不安が不安を呼び、ごまかしのほうが反応が大きいから人気が出た。もう自分でも自分を止められなかった。それで、結局そのまま死んじゃった。(中略)ほんとうに、見栄っ張りのママにはこわいものが多すぎて、身を守るためにはそうするしかなかったの。でも、あなたはそうならないでね。いつでもおへそをあったかくして、頭に血がのぼらないように心も体も力を抜いて、お花みたいに生きてね。それは権利なの。生きているうちに必ずできることなのよ。それでいいの。