2015年9月7日月曜日

回り道

おはようございます。今日も今日とて雨降りの朝。

キセルの野音からあっという間に一週間経ってしまいました。早い。小雨が降ったり止んだりする中で聴くキセルは、歌詞に雨という言葉が頻出することに改めて気がつきました。今回はアレンジがいつも以上に凝りに凝っていて、イントロだけじゃ何の曲か見当つかないことが多々あったけど、「雨音」の歌の出だしには、そりゃ雨も降るよねって、隣の友だちと顔を見合わせて笑ってしまった。終わってしまえば、暑くも寒くもなかったし、やさしい雨に降られてほっとするような時間だった気がしてます。DVD出ないかな。アレンジ凝ってたから聴き返したい曲がいっぱい。ギターのチューニング変えないナツヤスミは初めてで新鮮すぎたし、ハナレバナレのコード展開は斬新でびっくりしたし、うぶごえには笑った。買って帰ったビールグラスとカバーアルバム、早くも愛用してます。前回の野音ぶりに山形の友だちと会えたことも嬉しかったな。 

ライブ当日はデモがあって野音周辺はひどく混み合ってました。うちの母も友人に誘われて参加したらしい。積極的に参加したわけじゃない自分が情けないけど、結果として人出に加担できたならよかったです。友人と待ち合わせた午後三時近く、中途半端な時間に下車したメトロの構内には、デモを早めに離脱した風な年配の方のお姿がちらほら見受けられ、足を引きずったり杖をついたりしてる単独参加の男性からは、それでも来ずにはいられなかかったという真摯さがなんとなく伝わってきて、そういう一人一人の本気があの人出につながったんだな、ということを実感しました。




話は変わって。前々回のブログに自分で自分を信じ切れなかったと書いたけど、何でかな~と仕事中ぼんやり考えてたら、結局は、歪んだ形の自己愛だったのかもしれないと気がつきました。自分を信じたとして、もしそれが思い込みや勘違いだった場合、他の人に変に思われるであろう自分がみじめでいたたまれなかったのかも。他人にどう思われようと気にしない強さや真っすぐさがあればよかった。回り道ばかり。これからは、自分かわいさより、大事な人を大事にできるくらいには強くありたいです。
 

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