2011年12月31日土曜日

小さな野望















うかうかしていたら大晦日になっちまいました。
この写真だって、たしか8月に外でクラ吹いてるときに撮って、ブログに使おうかなーとか思ってたような気がするんですが、デスクトップにずっと置きっぱなしでした。一日一日はそれなりに長かったりもするのに、365日が過ぎてしまえばあっという間に感じられる、この不思議。そしてまた年を一つ重ねてゆくのですね。
とりあえず、まだ、生きてます。
毎日笑ったり泣いたり、食べて飲んで喋って読んで眠って、演奏もして、人に言えることや言えないこと、いいこともわるいことも、いろんなことがあって、今ここにこうしていられることはやはり感謝すべきことなんだなと、思います。

今月はキスミワコちゃんのバッハーンでいわきにライブに行って、いろんな出会いがありました。
そしてキルケのワンマンライブでサポートで演奏させてもらいました。


この一年でクラリネットは前より細かいニュアンスをつけて吹くことができるようになった気がする。
というか、先月集中してソロの曲作りに励んだ直後くらいに、突然、耳に入ってくる音をより細かく聴き分けられるようになって、これまで見えてなかったものがいきなりスケルトンで見えちゃうような感じになってびっくりしたことがあった。そこまで鋭敏な感覚はさすがに長くは続かなかったけど、今でも前よりはずっとよく聴けてるから、今は新譜を聴くことより知ってる曲を聴き直すことの方が面白かったりします。そのことは今後の演奏にもプラスになってくるだろうし、ようやくバンドマンとしてスタート地点に立てたような気がしてます。

来年のライブはまだ決まってないし、演奏する機会は一時期よりは減ってるけど、以前よりはいい演奏ができるようになってるという自負がちょっとはあるので、焦りはないです。無理せずにできることを着実にやっていきたい。逆に考えると、特にDrawingsやQurageの頃、よくあれだけ右も左もわからない状態でがむしゃらに演奏してたよなーとやはり思う。それはそれですごい根性だったと我ながら褒めてやりたいほどです。

思うに、十代の頃からずっと音楽は自分の感情をケアするためだけに聴いていたので、ごく基礎的な音感をベースに、うたそのものと、いわば演奏者の心意気のようなものを中心に、きわめて主観的感覚的に観賞していたのでしょう。それは場合によっては非常にシビアな聴き方であるけれど、演奏者としては不十分だったんだろうな。好みの幅も狭かった。ツインギターとボーカルとキーボードとドラムベースとかって音が分厚すぎてて今イチぴんと来てなかったのが、この2年ほどフジファブリックなど熱心に聴いてたせいもあってようやくはっきり理解できるようになった。よく聴いたことが演奏にフィードバックされて、自分の場合、音楽に関してはあまり無駄なことってないんですよね。これってすごく豊かな経験だなと。音楽と(だけ)は相思相愛なのかも。

究極的には人生を豊かにするためだけに音楽をやりたいです。形式やしがらみになるべく囚われることなく。来年はそういう活動を少しずつでもできたらいいな。ひきがたりはまだまだまだですが、がんばりたい。

話がやけに大きくなってしまった。どうぞよいお年を!



















@mayapanyaさんのツイートより拝借しました。素敵な写真をありがとうございます。
キルケの忘年会ワンマンライブ、アンコールの「浮遊」演奏直前に客席からミワコちゃんが「モッティー!」と呼びかけくれたので、緊張しつつも笑顔なのです。


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